AZU
オピニオンって何なのさ?
テクテン
「オピニオン」っていうのは、直訳すると、【意見】という意味なんだね。
つまり、自分の考えや価値観、こう思うっていう主張のことだよ。
かかりつけのお医者さん以外に診察してもらうことを、セカンドオピニオンって言ったりするね。
AZU
でも、意見なら、自分で言うんだから自分の言葉に決まってるじゃない??
テクテン
でも、そう分かっていても、なかなか自分の言葉で意見するっていうのは難しいんだ。
そして、自分の言葉で発信されていないオピニオンには正直価値がないんだ。だからそうならないよう、今日はオピニオンを自分の言葉で発信できるようになる話をしていくよ!
人は他人が考察した過程や結果に価値を見出す
例えば、先日、オリエンタルラジオの中田敦彦さんが本を発表しました。
元々中田さんのファンだったぼくはすぐに買って読んで、とても有意義な本だったので書評を書いてブログで公表したんだよね。

でも実はこの記事、一回書き上げた後に、一晩寝て起きて投稿前にもう一度読み直したら、「クソつまんねーなこれ」って我ながら思ったので書き直してるのよ。
なぜか。
「本」の紹介しかしてなかったから。
当初、書いてあったことはこんな感じ。
- オリラジのあっちゃんが本を書いたよー
- あらすじはこんな感じだよー
- とりあえず面白かったよー
AZU
まさにその通りで。個人ブログでわざわざ読まなくても、大手のホームページを見れば載っているようなことしか書いてなかったんだよね。
じゃ、ブログで公表する意義は?誰かが読んでくれることにメリットはあるの?っていうことに気が付いた。読み手として期待することはこんな感じじゃない?
- ファンとしてどこまで知ることが出来るの?
- 読んだあと得られるものはあるの?
- 本当に読む価値があるの?
これを伝えないと、ただの紹介文なんじゃないかと。ぼくが例えばホリエモンみたいに帯を書くだけで影響力ある人間ならそれでも成立するかもしれないけどね^^;
なのでぼくは、
本を読んだ(目的)(結果)(考察)したこと。
これらを自分の言葉、価値観、基準で改めて全部記事を書き直した。オピニオンは自分の言葉で書かないとダメだ!意味がない!それが自分の一回目に書いた記事でよくわかったから。
その結果、正直、名だたる書評家の記事のように面白くはかけなかったけど、それでも自分の言葉で書けたし、初回のより興味深い記事が出来たと自負している。
とても嬉しい感想ブログでした!#天才の証明 https://t.co/Mo30RsNOHD
— 中田敦彦 (@picolkun) 2017年11月14日
また、完全に結果論だけど、書評が実際にあっちゃんの目に留まって読んでいただけたようだし、その時にただの本の紹介じゃなくて、自分のオピニオンを含めた言葉を載せることが出来ていて本当に良かったと思っているよ。
人は他人の目を気にして本当のことが言えない
AZU
じゃぁなぜ自分の言葉で言えないのかな??
テクテン
大人は、摩擦や衝突を避け、当たり障りないことを言ってしまうんだよ。
まさにぼくがこの典型。
書いてるとき、考えていたのはこんな感じ。
- ブログに来てくれた人が面白そうって思ってくれることを書かなくてはならない
- 本人やファンの人が読んだら気を悪くしないことを書かなきゃ
そう、自分が読んで「どう思い、どう考えたか」ではなく、
他人にどう思われるか?
しか考えてなかったんだよね。
その結果、当たり障りのない、書いた自分ですらも「つまらない」と思える記事が出来上がってしまったのだ。
だからぼくは記事をゼロから書き直したとき、怖かったけど、「どう思われてもいい」と開き直って書いた。もちろん、意味のない批判や否定をするつもりもないし、面白いものは○○だから面白い、と自分なりの解釈で書いた。
他人の目を気にしていても良い記事は書けない。
それがよく分かった。
オピニオンを自分の言葉で書くには?
ではちょっとまとめてみます!
- 自分の考えや判断、価値観や基準を必ず盛り込んで発信する
- 他人の目は必要以上に気にしない、気にしていれば埋もれる
ここを意識していけば、「自分」という軸を持った記事、意見表明が出来てきます。
ブログは個人が主体的に情報発信できる場所です。せっかくそういった時代になったのだから、自分の場所で、自分の言葉で意見表明していきたいですね。
ぼく自身はというと、書き手としてまだまだですが、意識して記事を創っていきますのでよろしくお願いします!
ではでは。テクテンでした!
ちなみに、ぼくがオピニオン記事として意識して書いたものはこんなのもあります。


ご参考までに!
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